山猫島

we didn't mean to go to sea.

たとえ血をながしても

全てのことを忘れているわけではない。そもそも、同時的にも情報として意識的に処理しえる刺激が「選択」されているはずで。その中からさらに固定されるものが数えるほどであるのは当然だ。そう自分を慰めてしまうほど物覚えが悪いと思う。
先日中学の恩師(?)に久しぶりにお会いしお話した。私がなかなかクセのある子供だったことは否定しようが無いが、それにしても彼女の記憶は余りにも鮮明で膨大だった。私が自分ではほとんど覚えていない中学生の姿が確かに彼女の中には残っていた。中学以来の悪友Iもともに話していた。その場の会話においてIの中に残る中学校という風景の多さにもまた驚いた。たしかに私が学校の中で過ごした時間は彼女の十分の一程度であるという母数の多少あるものの、明らかに私の記憶は乏しいものだった。私にとっては彼女たちが、私がほんの一時、中学というものに入り込んだ証である。そう思ってはいるのだけれど。
ほんの一時入り込んだ中学という生活は、私に彼女たちをもたらした。けれど同時にようやく巣の外にも世界があることを理解しはじめたばかりの幼いものには、抱えきれない大きさでもあったのだろう。出来たばかりの受容体はあっという間に閾値に達して意味などもたらさなかった。私の中に残るのは、戸惑いと怯え。刺激をノイズとして切り捨て、自分の感情処理容量を保つことが選択された。
今も日々どれだけの情報を捨てているのか。感情処理に使う容量が多すぎるのだろう。外部から来たはずの痛みは、鈍く下腹から伝わってくる痛みに切り落とされる。私は今だって自分の内部が刻むリズムに包まれて、引きこもっているのだから。