山猫島

we didn't mean to go to sea.

興味関心好奇心

現在所属する学科は、デパートのようだ。もしくは、内包するものにたとえて、カオスや宇宙、生態系のようだといってもいいかも知れない。既存の学問分野を学ぶ学科というのは、その分野の歴史的な体系をなぞるように、一つの青写真を共有しているのではないだろうか。言い換えれば、自らが目指すべきもの、またそこまでの道筋は、その学科に入ったことである意味規定される。これは、学問体系が常に共同体の自己定義の反復によって境界を作り、信頼性正当性というものを築き上げてきた以上、その学問に目指すものがあれば体系だって学ぶことが最短経路であることは当然といえば当然である。
デパートの展示のように並ぶ様々なアイテムやツール。カオス、認知、進化、プレートテクトニクス、論理演算、デザイン、デジタル回路、地球科学。関係がないわけではない。どんなことも、現在我々の生きる世界のある一つの抽出であれば、すべてはこの現実において接点がある。だからこそ、学問の先端部分、自己定義の場である境界では、すべての知識は揺らぎ、混ざり合い、相互作用により新たな要素の創出が起こるのだろう。そこはとても魅力的な場である。しかし、そこであればこそ、誰とも共有できなくても、常に未完成でしかしはっきりとした青写真がなければ、飲み込まれ迷子になってしまうだろう。逆説的だが、そこにあるものから選べばいい商店ではないから、デパートでは常に自分の本当に買いたいものを意識し続けなければいけない。この意識の持続は、目に入るものが面白く、魅力的で多彩であればどんどん難しくなる。