山猫島

we didn't mean to go to sea.

はしが転がっていたら

3日になんとも幸せそうな文を書いてしまったが、もちろん不満や苦痛というのが皆無な訳ではない。基本的にはストレスゼロに近い環境ではあるけれど。
3日から連休中のため、研究室には人がいない。まだ指導・対応できる人がいない状況であまり実験を進められないので、私の実験も連動してストップ。ちょっと残念。なので、この連休中はひたすらに虫の世話しかしていない。本当は、ノートの整理や点検、実験技術や知識のおさらい/勉強、論文読み、マイプロトコール作りとか、新たな飼育器の考案や試作などするべき事はあるんだろうが、気分だけは連休の私は、ひたすら研究室で私用ネットサーフィンに走っている。。
今現在、私の部屋にはパソコンがない。ので、個人的なネットサーフィンというものが4月の中旬からずっとできなかったのだ。部屋にパソコンがないことで、生活が乱れないのはとても良いのだが、些細な不便は時折感じる。例えば、電車の時刻表とか近所の地図、ちょっとした調べものが今までネットですぐ簡単に分かったのに、わざわざ研究室に行くか、行き当たりばったりで運を天にまかせるしかない。また、PCメールで入っていたMLなどの情報も手に入らない。そして、友達のブログを見に行ったり、自分の近況を人に伝えることもできない。
以前、どっかのペットホテルの広告が家族の間で話題になった。そこには「犬はひとりではいられません、猫はひとりでいられる場所が無いといけません」というようなことが書かれていた。広告自体は、それぞれの動物にあった環境を用意しますという宣伝だったのだが、家族では自分は犬か猫どっちだろうという話になった。私は迷わず自分は猫だと断言した。
私が一人でいられる場所がないとダメになることは確かだろう。常に他の人と一緒にいる事にストレスを感じてしまう。数分でも一人になれないと強い緊張状態になり最悪感情が暴走しだすこともあった。しかし、それでも、私は自分で思っている以上に、寂しがりやでもあったようだ。
東京で住んでいる家は住宅地の中のボロい一軒家。隣のおじさんの唸っている声や、あかちゃんの泣き声、見ているテレビの音や、誰かが大音響でかけている音楽がいつもどこかから聞こえてきていた。夜中でも、前の道路には車が通っていてトラックの音がし、道を通る学生の笑い声も聞こえていた。家の中からも、母の炊事の音、兄のCDの音、誰かがキーボードを叩く音、常に人の気配があった。何かあれば、母に話しかけ、妹と笑い合った。
こちらに来て、はじめに感じた事は部屋の静けさだ。窓を開けても、木々を揺する風の音、それに休日の昼間は遠いテニスコートからのテニスの音が聞こえるだけ。部屋の中にいて、周囲の人の気配を感じる事はまず無かった。構内も広く、人と出会う頻度は低い。研究室にくれば、もちろん、実験手順や注意をしきりなしに受けるし、聞いても聞かなくても色々教えてもらえる。コミュニケーションはとれるし、会話も成立するが、何しろ皆さん忙しいのでおしゃべりはほとんどなく、あってもちょっとした短い会話が中心だ。
ストレスではない。この部屋の静かさや、リラックスした会話の少なさなどは私にとってストレスを生み出すものではない。実際に私の精神状況はかなり良い。忙しい日にはそもそも自分から喋るのはめんどくさい。
でも、寂しいんだ、ちょっとばっかし。
箸が転がったら、一緒におなかの底から笑って