山猫島

we didn't mean to go to sea.

終わりのつくりかた

去年は、舞台の運営だったため、兎に角忙しく張り詰めていた。その代わり、一日の密度が極端に高く、高揚した精神が強い感情を引き出した。それに引き換え今年は、仕事も出番も少なく余裕があるがゆえに弛んだのか、緩やかな幸福感にひたっていた。
去年の運営というためか、最後の挨拶係に任命されていた。実は、去年も最後まで残って挨拶をした。人々が続々と撤収していくなかで、残っている人たちと手分けして忘れ物やごみのチェックをし、残った荷物をまとめる。そして、もう最後だと思い切り、撤収する。自分達が最後だと思えば思うほど、思い切って動き出すことにためらいが生じる。仕事は既にない、終わりまでの僅かな時間、人と共有するためらいは心地が良い。心地よさに動き出せないほど。ためらう時間が長引くことには一利もないことが分かっていても。
開放系である以上、いつかは構造が崩壊することは分かっている。それでも、カウントダウンが響くころ、共有される緩やかな幸福感は自分から離れることをひどく難しくさせる。終わりはいつか自分で作るしかないのに。